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太平洋戦争も末期になると、日本本土も米軍機の空襲にさらされるようになります。
昭和19年6月16日、中国大陸の成都を発進した米軍のB29爆撃機が北九州を夜間爆撃しました。これがB29による最初の日本本土空襲です。
その後、サイパン島、テニアン島、グァム島などマリアナ諸島を占領した米軍は、この地をB29の一大基地として整備しました。
昭和19年11月24日、マリアナ諸島を発進したB29が初めて日本本土(東京)を空襲しました。これ以後、B29による本土空襲は主にマリアナ諸島の基地を使用して行われます。原爆も、マリアナ諸島から発進したB29により広島と長崎に投下されました。
筑豊地域は、幸い直接の爆撃目標となることはありませんでしたが、上空を通過する米軍機と日本機との間で空中戦が行われることがありました。
昭和20年8月8日、久世龍郎海軍一等飛行兵曹(戦死後進級)は、九州北部に来襲した米軍機との空中戦の末、墜落して戦死しました。
久世一等飛行兵曹は、乙種(特)飛行予科練習生(予科練)の1期生で、第三四三海軍航空隊に所属する戦闘機パイロットでした。乙種(特)予科練1期生は、昭和18年4月に予科練入隊(同期生1,585人)、昭和19年から実戦部隊に配属されましたが、終戦までに826人が亡くなっています。戦死時、弱冠18歳の若者ということもあり、墜落地点に駆け付けた付近の人々の涙をさそいました。慰霊碑は墜落地点に近い飯塚市鯰田に建てられ、毎年8月8日に慰霊祭が行われています。
また、8月8日の米軍機による空襲で、八幡(現在の北九州市)が被災しましたが、翌9日、小倉に原爆を投下するため飛来したB29爆撃機は、悪天候による雲と八幡からの煙に遮られて目標が確認できず、長崎に原爆を投下しました。
太平洋戦争終戦の月の8月、日本各地で終戦記念の式典・慰霊祭などが行なわれています。この機会に皆様も戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて考えてみられては如何でしょうか。