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株式会社倖乃舎 庄田さん

ページID:0002880 更新日:2025年12月1日更新 印刷ページ表示

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​株式会社 倖乃舎 庄田さん

子どもの頃に感じた“違和感”。アフリカへの思い。

青年海外協力隊でアフリカ・マラウイに渡った庄田さん。人生の指針を決めたのは、小学生の頃に見たアフリカの難民キャンプの映像だった。「自分と同じ年くらいの子どもたちが貧困にさらされていて、なぜこんなに環境が違うんだろうと子どもながらに違和感を感じたんです」その違和感はいつしか、世界が置かれている現状をなんとかしなきゃという使命感へと進化し、中学2年生の頃に青年海外協力隊の存在を知ってからはアフリカへ行くことが目標になった。

専門学校を卒業後、積極的に海外での医療支援や国際的な人材交流などを行っている久留米市の聖マリア病院へ理学療法士として勤務。開発途上国へのスタディツアーなどにも携わり、アフリカへの思いは燃え続けていた。そして26歳でJICA(ジャイカ)海外協力隊として単身、アフリカ・マラウイへと渡る。現地では村の診療所で母子の栄養教育やヘルスパスポート(母子手帳のようなもの)の改定などに携わった。「ヘルスパスポートは体重や身長、栄養状態を記入するものなのですが、レイアウトがわかりづらく年齢を間違えて記入してしまう間違いなどが出ていました。年齢の誤りは乳幼児の健康被害にも繋がる事があるんです」改善の必要があると感じた庄田さんは仲間の協力隊と連携して基礎調査を実施し、レポートにまとめた。その後政府のヘルスパスポート担当者に改善案を提案する機会を得て、改定へ乗り出す事ができたという。この経験は、思いがあれば物事は動かせる確かな実感を得ることができた出来事だったそう。その後2年間従事した後に、久留米から家庭の事情で飯塚へ帰郷した。

​笑顔で過ごすアフリカ・マラウイの子ども達と庄田さんの画像
​笑顔で過ごすアフリカ・マラウイの子ども達と庄田さん

海外での経験があるからこそ俯瞰して見ることのできる地元の現状

「アフリカから帰ってきたら、地元を俯瞰して見ることができるようになったんです」アフリカへ行っていた経験によって、比較対象ができたことにより幼少期から過ごしてきた地元を改めて見直すことができるようになったそう。「飯塚に住んでいた学生の頃は田舎だしなにもないと思っていました。でも、飯塚って福岡で4番目に人口が多い中都市なんです。帰ってきてからわかったことなんですが、面白い人がたくさんいるし、魅力もたくさんあります。だからこそ“何ができるか”ではなく“誰と何をするのか”を考えながら行動しています」飯塚に帰ってきてからは海外での経験を活かし、教育や国際理解・多文化共生へ尽力している。

飯塚の小学校での授業の様子の画像
​飯塚の小学校での授業の様子

飯塚へ帰ってきてからの活動

「2019年から飯塚市内の高校の非常勤講師としてワークショップを通じて、マラウイでの出来事やSDGs(持続可能な開発目標)について考えてもらう活動をしていました」かつての同級生や恩師が飯塚の学校に勤務していて、地元だからこそ知り合いが多いから行動に移しやすかったという庄田さん。「いい意味で上下のつながりが濃かったり、地元だからこそ共通項が多く、行動しやすいことが多いのを実感しました。子どもたちも真剣に話を聞いてくれて、より理解を深めてほしいと思い、インターネットを活用して実際にアフリカの現地の人と授業をつなげたりして工夫して取り組んでいました」

2020年には、「飯塚で何かを始めたい」という方の想いや企画をまちづくり会社としてサポートする、株式会社倖乃舎(さちのや)にゼネラルマネージャーとして入社。吉原町に1973年に建てられた不動産資産をリノベーションし『サンカクビルヂング』をオープンさせた。隣りにある緑道公園や周辺地域を巻き込んだグローバルイベントを開催し、国際的な体験ができる場所として提供している。「今はコロナの影響で思うようにできていないところが多くて歯がゆい思いをしています。落ち着いてきたらしたいことがたくさんあるので温めて、実現させたいと思っています」と力強く語る。

サンカクビルヂングでアフリカンシチューを振る舞っている様子。の画像
​サンカクビルヂングでアフリカンシチューを振る舞っている様子。

「誰ひとり取り残さない社会を作る」ために必要な人と人との繋がり

飯塚には面白い人がたくさんいるという庄田さん。海外での活動を通して、これからしていきたいことがたくさんあるという。「いろいろな経験をしてきて、やはり人と人との繋がりはとても大切だなと痛感しました。海外での活動ってどこか遠くの場所で起こっているように感じる方が多いと思います。地方だとなおのことそうなんですが、それは海外の方と触れ合う機会が少ないからなんです。これからは僕が窓口になって触れ合う機会を増やして、身近なところから“国際理解”や“多文化共生”を進めていきたいと思っています。その活動の一環として、子どもたちの価値観や未来を変えられるきっかけにもなれたらいいなと思っています。そして結果的に誰ひとり取り残さない社会を作り上げていきたいですね」庄田さんの熱い思いは着実に飯塚へと広がりをみせている。

【氏名】庄田 清人 【出身】飯塚市(Uターン)
【PROFILE】1988年生まれ、飯塚市出身。久留米市にある聖マリア病院にて理学療法士として勤務後、単身でアフリカ・マラウイへ。飯塚に帰ってきてからは海外での経験を活かし“国際理解”や“多文化共生”を広めるべく活動中。「誰ひとり取り残さない社会」を目指している。